豊中市で、小4~中学生向けの個別指導学習塾で校長をしております、藤田です
こんにちは!

 

今日は私、藤田の高校受験の時の話をいたします

はたして、参考になるでしょうか?

 

勘違い期間

私は豊中市立第7中学校に通っていました。

中2の頃は中間テストでクラスではトップ、学年(だいたい500人)で5位前後くらいでした

といっても、そんながり勉タイプではなく、だいたいテスト2週間くらい前から勉強する程度でした

社会は勉強という感覚はなく、歴史上の人物のストーリーとか、街や制度の成り立ちが好きだったので一番楽しみでした

成績が良かったので、親も周りもちやほやしてくれて、ご満悦でした

そんな当時の私は箕面高校にいくつもりでした

 

先生との面談では、

先生:
じゃあ、公立は今のまま頑張って箕面高校目指そうか
私立についてやけれども・・・

私:
私立?
行かないですよ!

先生:
関西大倉、頑張ったらいけるよ?

私:
え、でもバス通学嫌だし、男子校でしょ?
(当時は男子校でした)

先生:
大阪青凌いいんじゃない?

私:
だから、男子校はナシで
(当時は男子校でした)
家から近くがいい
仮に私立行くなら、共学の箕面自由かな

 

今思うと自惚れがあって、真剣味ないし、考え方はアリとキリギリスでいえばキリギリスタイプでした。

 

中3の一学期

中2の時と同じように試験前だけ漠然と勉強していました。

同級生が行っていて何か羨ましいなーと、予備校が運営する進学塾の入塾テストを受けてに合格して行きました

それなのに、クラスで中の上くらいの成績に下がってました。

学年での順位も同じように下がっていて、10位以内とかではないけど、まだどうにか高い方でした

「今回ちょっと不調だったかな?
ちょっと気を抜いた日もあったし」

それくらいに思っていました

 

中3の二学期

中間テスト

あれれ、順位また下がってる??

私が下がったというより、周りの子らが真剣になりだして成績上げてきてた為、相対的に私の順位が下がっている訳です

問題も中2の時より難しくなっているし
(当たり前の事)

先生との面談

先生:
箕面高校?
ムリムリ
桜塚高校も気合入れんと今のままだったら厳しいで

私:
え!?
そうなんやぁ・・・

『さあて、そろそろ本気出しますか!』

そして、

 

桜塚高校、合格発表の日

「ちょっとイージーミスあったけど、手応えあったし
わざわざ見に行かんでも大丈夫でしょ」

⇒何でこんな楽観的なのか

(半分は虚勢)
(中2のちやほやされていた自分が本来の自分と思っている)

学校に到着、
キャーキャー喜んでいる人、
しょぼんとしている人
合格者掲示板には人だかり

 

・・・あれ、これって番号小さい順?

・・・ない、
書き漏れとか学校側の記載ミスかな

 

一緒に来てた叔父さんと手分けして、隅から隅まで確認しました

桜塚高校の合格者掲示に私の名前はありませんでした

無論、手違いでもなく

忘れもしない、ドラマチックな雨

家に帰ったら、妙に親が気遣った言葉をかけてくる

(そんなの要らない、辞めてくれ~!)

春から、箕面自由学園での高校生活が始まります

 

振り返り

中3になって、学力が上がらないのは感じていました

勉強する必要は理解しているものの、過去問3冊買って一安心

ペース配分とか、やり方とかは何でもいい

そんな感じで勉強のやり方に核心を持てずに雲を掴む感覚でやっていたのも良くなかったと思います

中3の一学期に、成績の良い同級生が行ってたという理由だけで、進学塾に3カ月だけ行かせてもらいましたが、そこも何かしっくりこずに一期(3カ月)だけ行って辞めました

その進学塾3か月間の費用がびっくりするくらい高くて、こんな真剣身のない自分の為に費用出してくれて、『お母さんごめんなさい』

(という、その時の感情が40年くらい経ってもまだ鮮明に記憶に残っています)

年3回ほどの担任の進路指導と我流の受験プランではどうにもなってなかったと今では思います

(自己管理も出来ていなかったし)

 

一言でまとめると、受験に対しての目標達成管理がグダグダだったなと

みんなへの対応

ブログではちょいちょい、考え方について書いたりしています。

ブログで一方向に記事を書いても、取り入れるのは難しいです。

(自分の現在地を明確にしておかないと、目的地までの差がわからないので)

生徒のみんなには、ヒアリングを増やして課題を明確にしていきます